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菅原道真公について

通尾天神山のご祭神でありました菅原道真公について書いてみたいと思います。

全国に天神様をお祀りしている神社は約1万2千社あります。
福岡県の太宰府天満宮はその総本宮です。
「だざいふ」には「大宰府」と「太宰府」の2種類の漢字が使われています。
大宰府は、古代律令時代の役所、およびその遺跡に関するものを示す場合に用います。
太宰府は、中世以降の地名や天満宮について示す場合に用います。
ですから道真公は「大宰府」の官職として「太宰府」の地へ左遷させられたと言う事になります。

また菅原道真公の神号は正式には天満大自在天神(そらみつだいじざいてんじん)と言います。
「天満」とは「天空に満ちる」という意味で、道真公の怨霊が自在天という佛教由来の天主(神)になったと言う意味が込められているとされています。
大自在天は大聖歓喜自在天や他化自在天と名称が似ているため、よく混同されます。
他化自在天は欲界の六欲天の最上位の天の名称であるのに対し、大自在天は色界の頂に住する三千世界の主です。
色界とは欲望を離れた清浄な物質の世界を言います。
如何なる神も逆らうことのできない「自在天」の神号を朝廷は道真公に贈りました。
これは道真公の怨霊の威力を大自在天に習合させたものであるとされています。

道真公には怨霊と化したという伝説が残っていますが、道真公自身が実際に呪いの言葉を残して亡くなったという事実は無いようです。
ですが、藤原氏にしてみれば、「菅原一派を讒言で左遷させた」という後ろめたさに、様々な災いが偶然起こったため、「呪い・祟り」を何よりも信じていたために「道真の怨霊が自分たちに仕返しに来た」としか思えなかったのでしょう。

一説によると、道真公は左遷された太宰府の地で、天も人も怨まず、ただ国家の平和と天皇の無事を祈り続けたとも言われています。
当時、「一族を存続させ続ける」ということは大変なことで、「時平の北家藤原氏もなりふり構わず必死だったに違いない」と、そう考えれば、その一点においては、道真公自身、「自分に油断があり、選択を誤った」と、そう思われたかも知れません。

道真公は今や、学問の神様としてお祀りされていますが、本当は「人生の選択の神様」「導きの神様」ではないかと思います。
どういう事かと言うと、「合格祈願」をされたが希望が叶わなかった方々への道真公からのメッセージはこんなものかもしれません。

「急がなくても大丈夫です。私は急いだために道を誤りました。
ですから、あなたは少しだけ遠回りをしなさい。それが今後のあなたの大切な糧となります。」

江戸時代からといわれている通尾天神社の天神講(現在活動休止)に伝わる巻物があります。
こちらもご参照ください。『通尾天神社絵巻物』