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倭神社(森本神社)

天神山周辺の史跡案内(2)

森本神社は明治以後、倭神社と改称し、日吉大社の社外百八社(末社)の一つに数えられます。

倭神社(森本神社)

倭神社(森本神社)の概要

昭和14年村社に昇格せられました。
創建時期は不詳。

由緒書によれば成務天皇の御代の西暦131年~190年の頃とされます。
延喜式神名帳にみえる「近江国滋賀郡 倭神社」に当社をあてる説があります。

現在、慈眼堂にある桓武天皇供養塔は、元は当社の社叢(しゃそう:神社の森)の東側あたりにあったと言われています。
坂本より南に滋賀里という地があり、そこの倭神社は読みが「しどり」ですが当社は「やまと」です。

本殿のご祭神は日本武尊、一説に伊弉諾尊(本地十一面観音)です。
境内社には俊範社、稲荷社、通尾天神社が合祀されています。

俊範社の俊範とは

森本神社は鎌倉時代の南勝房(大和の荘法印)俊範の旧跡にあります。
俊範法印は『愚管抄』の著者で、天台座主を四度務めた慈円に認められた学僧でした。
俊範法印は坂本の南勝房と無動寺に住しており、ここで学ばれたと伝えられています。
(山川智応。高木豊著『日蓮とその門弟』三二頁)。

また、天台法華を重視し、真言・禅・念仏には批判的な立場であったということから、『日大直兼十番問答記』(貞治2年 西暦1363年、日蓮聖人の滅後83年後に成立)によれば、日蓮聖人は三塔の総学頭であった俊範に師事し、天台の奥義を相伝し他宗批判をしていったと推察する説があります。

倭神社由緒書

倭神社 由緒
祭神 日本武尊
配祀 両道入姫皇女 稲依別王
由緒 日本武尊は景行天皇の皇子で小碓命と称す。成務天皇(西暦一三一年即位)の御代に当神社を創立。
醍醐天皇の御代に編纂した延喜式「神名帳」記載の倭神社は当神社のことで式内社として朝廷から民間まで篤く崇敬された。
古来「森本社」と称し日吉大社の社外百八社の一社に加えられている。
天台宗無動寺の鎮守社としても御神徳は輝き他府県の方々からの尊崇の念も篤い。
昭和十四年十月無格社から村社に昇格し神饌幣帛料供進神社に指定された。
例祭 五月三日
境内社 通尾神社
祭神 菅原道真公
元無格社 登志弖本村字通尾に鎮座のところ明治四十一年許可を得て当境内に移転する。

神社概要

社名 倭神社(やまとじんじゃ)
通称 森本神社
住所 滋賀県大津市坂本1-8-31
祭神 日本武尊
社格等 式内社 近江国滋賀郡 倭神社
御朱印 不明

アクセス

京阪の坂本比叡山口駅すぐ西の交差点(生源寺前)から700mくらい南に行くと右側に石の社号標があり右手の坂を登れば神社。
駐車場はありません。